「インビジブル・シャーク」 感想 目に見えぬサメを視よ

概要

原題:Invisible Shark

製作:2023年アメリカ

配信:Kill The Lion Films

監督:Cody Clarke

出演:Chloe Pelletier/Livvy Shaffery/Cody Clarke


ブルックはビーチで目に見えない「透明ザメ」が人間を襲う様子を目撃していた。だが、透明ザメだけでなく、襲われる人間も他の人には見えていないのだ。ブルックの眼には一体何が視えているのか。彼女は透明ザメを通じて己の人生に向き合っていく。


本編

感想



サメが一切画面に映らないサメ映画として昨年注目を集めた「ノー・シャーク」をさらに深化させた続編。6月末にはYOUTUBEで無料配信が始まっていたようですが、今頃気が付きました。もうちょっと宣伝してくれてもいいですのに。



サメ映画とは何か?

サメ映画マニアとは一体何であるのか?



前作はそこらへんに対する根源的な問いが異常サメ映画愛者の心に潜むサメを余白で語って見事に抉り出した、哲学的かつ文学的で難解な傑作でした。



本作は全体的なノリというか路線そのものは引き継いでいるものの、ただでさえ難解だったのがさらに激しく深化しまくり、もはや常人にはほとんど理解不能な芸術的逸品に仕上がっております。部分的には笑えて楽しいシーンもけっこうありますが、全体的にはこれはまだ今の人類には少々早すぎるかなと思いました。




主人公ブルックはビーチで透明ザメが人間を襲う様を目撃している。しかし透明なのはサメだけではなく、被害者も普通の人には見えていない透明人間である。つまり普通の人には全く何ひとつ見えていないのです。



そんなの単なるブルックの妄想なんじゃないのか?と突っ込みたくなるのは当然です。しかし透明ザメと透明人間を視る能力を持つ者は他にも数人おり、グループ化してビーチではカルト宗教の様相を呈している。自慢げに透明ザメのスケッチを見せてくる男の狂気、それを称賛するブルックの狂気…私はかつてこれほどまでにサイコなカルト集団を見たことがありません。



このカルト宗教が一部のサメ映画を崇め奉るサメ映画マニアたちのメタファーであることは明らかでしょう。サメ映画マニアではない普通の人にとっては「ノー・シャーク」だの「パペット・シャーク」だの「えっ?サメ男」だのといった常軌を逸したサメ映画など存在しないも同然であり、当然レンタルする顧客も彼らの世界では認識されていません。そんなありもしないものを視て騒ぐカルト集団が現実のサメ映画マニアたちと言えるのではないでしょうか。


そしてこの集団、傍から見ている人からはひどい言われようです。


「確実にウザイ、カルト宗教か何かさ。ただただキモい」

「あんたがキモい」

「糖尿病で足が落ちればいいのに」

「あんたのケツに落としてやろうか?」

「まあまあの返しだな。だが、ふざけんな」


辛辣ながらも会話のセンスが面白すぎる。

Cody Clarke…やはり天才か。



このように、残念ながらサメ映画マニアがクソシャだのジュラシャだのわけがわからない異常サメ映画を崇め奉れば崇め奉るほど、周囲にはウザがられ糖尿病患者扱いされてしまうのが現実なのです。とりあえずクソシャ愛を隠せないような異常サメ映画愛者はそのことを反省し、表向きはスピルバーグやレニー・ハーリンの信奉者ということにしておきましょう。



それはそうとこの透明ザメ、中盤になって実はサメではない可能性も示唆されます。今さら何言ってんだこいつと思われるかもしれませんが、これはつまり


「サメ映画マニアが喜んで観ているサメ映画に出ている生物は実はサメではない」


…という暗喩ではないかと考えられます。サメ映画マニアが決して直視できない現実。「パペット・シャーク」に出てくるのはただのお手製ぬいぐるみであり、「えっ?サメ男」に出てくるのはただのはんぺんである。サメ映画マニアは勝手にそれを脳内変換してサメだと思っているに過ぎない。ブルックが視ている透明ザメも同じこと。彼女がサメだと思えばそれはサメになるということなのです。



何だかんだ勢いだけで好き放題書いてきましたが、所詮私の勝手な解釈なので正しいかどうかは全く分かりません。

むしろ全然見当外れな気がしてきました。

私にはどうもブルックと前作主人公のチェイスとの問答を真に理解出来た人でなければ、何も確かなことは言えないのではないかと思われるのです。



「どうして『サメじゃない』がサメなの?」

「もう悟ったと思ってた」



どういうことなんだ…。

私が悟りを開くにはまだまだ修業が足りないようでした。




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